マンガ図書館Zとブログを活用した漫画ビジネス その5 (漫画広告)
今しがた「町の自転車修理屋さん」に行ってきました。
昨日通勤途中で自転車がパンクしたので代えのタイヤが欲しかったからです。
本当は「てんてらてん!」の2話目も一緒に持ち込んで
漫画広告の契約を商談しようと思ってましたが
丁度良い機会と思い「てんてらてん!」の2話目の完成した数ページと
広告漫画の下書きを持って商談に行きました。
初めは肺炎の事やスーパーマーケットでポップ制作している事など世間話を
次に新しい広告漫画の下書きを見せました。
漫画広告の印象としては良かったです。
その後に本題の原稿料について触れました。
漫画の神様の手塚が原稿料を10万円までにしないと仕事の依頼がなくなってしまうので
原稿料は10万円までにしたのが漫画界の通例になりました。
どんな有名な作家も10万以上もらえないので僕が原稿料を税込み11万1円頂ければ
SNSでも話題になって…。
と言った話をしていました。
当初は貰った原稿料でここで買い物をし
オリジナル名刺も無料で作成すると話す予定でしたが
反応は思ったほど芳しくなく
貰った原稿料と合わせて15万円分購入すると商談しました。
「う~ん、税理が~」「広告費で落とせます!」「ややこしいし~」「貰った原稿料で買い物するだけ~」などなど攻防戦を繰り広げ。
社長「自身を持って使って下さいと言えるようにならないと。」
僕「若手の芸能人さんはタダでもテレビに出して欲しいと言う。今はこちらがお金を出してでも使って欲しいと言う時代です。」
社長「どれだけ成果があったのかデータとかプレゼンテーションとか」と言う風な感じで決着。
「かいつまんでいるのでよく分からないと思いますが、商売のやり方などの話から受ける理由に変化して行き最後にどの程度の成果が見込めるかとなりました。」
要は結果は出ているのか?出るのか?と言う事です。
正直言って最初に話しを持ち込んだ時に原稿料は?と聞かれて
1万円でも5千円でも千円でも良いので貰っておけばなと思ってしまいました。
「素性の知れない漫画描きなんてリスクばかりでギブアンドテイクの対象外ですが広告漫画を了承して頂いたのは大変助かりました。」
最初に持ち込んだ時からこの日の事は計画していたので
非常に残念な結果になりました。
ですが答えは出ました。
どれだけのpv数が稼げるのか?と言う事です。
「どの程度お客が来て何を買ってどれだけ利益が出したか?なんて言われなくて良かったです。(>_<)証明するのが極めて難しいため」
「町の自転車修理屋さん」ではサイスポなどの雑誌に広告を出しています。
正直雑誌の広告欄を読者がどの程度目にするか疑問ですが
少なくても発行部数と同等のpv数を提示出来れば良い返事が帰ってくると思います。
ちなみにサイスポの広告費はオフセット1色ヨコ1/3P重 (85×190 サイズ)で70,000 円です。
発行部数は200000部らしいですが実際は返品なんかがあるので
150000部程度だと思います。
現在の僕の成果は?と言いますと
マンガ図書館Zで134pvとブログのアクセス先で1%なので60少々。
Twitterで最初の方に投稿したツイートがこれで最近のでも600インプレッション程度。
確かにこれでは話にならないですね。
広告漫画を載せてから約半年
いったいお前は何をしていたんだと言われたみたいです。
せっかくチャンスをもらってこれでは話になりませんもんね。
とりあえず2話目の広告掲載の許可を得て
完成したらまた来ますと約束して帰りました。
「僕は10年近く漫画を描いてきました。しょうもない理由で漫画を描き始めて高校でバイトしたお金で漫画の専門学校に往復4時間半ほどかけて2年通い、漫画の奥深さに触れました。専門学校を出る直前に書いた漫画がたまたま漫画賞の審査にかけられ見事に撃沈。専門学校中に結果がでなければ辞めようと思っていたのでやめれば良かったのに続ける事に、これで最後とバイトで貯めたお金で1年間無職で漫画を描き持ち込んで撃沈。自転車で東京の出版を周ろうと思っていましたが、周る気力も失せ、フラッと自転車に乗って駅まで…。どうせなら東京をもう少し見ていくかとと言った感じでズルズル行き、結局東京~和歌山を自転車で走る事に。弟に良くして下さる人が元シマノの方と言う事で飲みに行き、エンジニアで破天荒な人生で面白いので漫画に描かせて欲しいと頼みました。バイトを辞めて1年間でダメなら漫画は辞めると言った期間で藁をもすがる思いだったのもありますが、人を信じれなくなった自分、自分も信じれなくなった自分には生涯最大のチャンスに思えたのでまた漫画を描く事に。自伝本だけでは持ち込みは難しいと思い「てんてらてん!」を描きました。これは読み切りで、自転車の交通ルールとマナーを擬人化の自転車と一緒に学ぶと言うお話しで、僕が小学校の低学年の時に自転車でおばあさんを引いたのを引っ張ってきて描きました。高畑勲の葬式の時に自転車雑誌の出版社2社に持ち込み。最初の一社で散々話た後、弱虫ペダル以外は漫画読まない分からないと言いつつ、君の漫画には熱がないんだよね。僕が東京から和歌山まで走った話をしたらそういうのが欲しいと言ってました。席を離れる時に名刺も持てない人と仕事をしないと言われ僕の生命線である元シマノのエンジニアの話をまとめたノートを見せてとしつこく言われました。もちろん断りました。2社目は編集長自ら応対してもらい帰りました。現金は1千円ほどしかなく通帳に2万円ほど、行きと同じ夜行バスで帰ろうかと思いましたがバスの手配が出来ず、また自転車で帰ろうか?とも思いましたが何とか新幹線で帰る事が出来ました。どこの出版社も相手にしてくれないので自分で発信しようと思い去年個人事業主に赤字は3年間持ち越せるらしく、期間を3年間と決めました。3年目に一人立ちする見通しが立たなければやめればいいし、今和歌山は若い人が少ないので、選り好みしなければ職につけるだろうと始めました。最初はパソコンを手に入れるため必死にバイトしました。その後は佐藤秀峰氏が運営しているサイトに漫画を全て投稿し、1ページ1000円ほどの原稿料を貰える算段でしたが全て撃沈。
元シマノのエンジニアの事でシマノに連絡しましたがそんな人いなかったと電話の向こうで責任者に笑われました。ブログとマンガ図書館Zに投稿しながら、どうすれば見てもらえるのか試行錯誤したり、自転車動画を投稿したり記事を書いたり、出来る事で思いつく限りはしてきました。正直な所今回の件で力つきました。27にもなって未だに職に付いた事もなく、親の骨と皮だけの足をかじりつく気力も体力も底を着きました。残り1年と一月で今のpv数を1000倍にするのは非常に難しいと考えています。後1年活動出来るだけの体力が無いのが一番ですが、漫画を描くのに何の喜びもなく、お金になるわけでもなく、ただ苦しいだけなので僕のようなしぶとい人間はあがいてあがいて力尽きるのが止める良い機会なのかもしれません。」